雑記

本当に外に出ないので特に何もない日々。音楽やったりyoutube見たり本読んだり。一体この人生は…?

 

8月某日

デートをドタキャンされるという数年振りの出来事。縁が無かったか、と思いつつ寂しい気持ちを抱える。元から一人なら寂しくないけど、誰かと会う気持ちを宙ぶらりんにされるとそこでやっぱり人は寂しくなるっぽい。予定通り自分と向き合う日々に戻ろうと決意。今はそういう時期。自分自身のインプットやアウトプットに注力したい。

何はともあれ、初めての骨董市に行くために浜松町へ体を向ける。東京に気軽に行ける距離に住むようになり(時勢的には気軽に行ける土地ではないが)、蚤の市や骨董市に興味が出てきた。本当は敷居の低そうな蚤の市から経験したかったが軒並み中止になっている… 入場無料でふらっと寄れそうな浜松町の骨董市に照準を定めた。戦利品としてはコラージュ作品、古瀬戸の仏花器、小物等。店主のおばさま達に可愛がってもらって色々と骨董について教えていただいた。その道に詳しい人は誰でもカッコいい。骨董と言っても思ったより安いものもたくさんあったし、また遊びに行って家に物をふやそう。

そう悪い日でもなかった。

 

8月某日

新曲、hakuiroを世に出す。とにかくうるせーエレクトロを作ってみようと思って完成した1曲。歌詞はハチミツとクローバーのことを書いている。MV含めて好きな1曲になった。

同時に、初めて配信リリースというものを試みる。自分の曲を出すのは思ったより安かったし簡単だった。元々、誰かに聞いてほしいと思って始めた音楽。誰でも聴けるプラットフォームの片隅に自分の曲が落ちているというのは感慨深い。アルバムも出してみようと決意した。そこまでは頑張ろう。

 

8月某日

”マジ”に外に出ない盆休みを過ごす。この人生何なんだ…

 

8月某日

モデルナワクチン2回目を摂取。副反応がキツくて一晩寝られなかった。しかし、これで多少の抗体が得られたのであれば少しは安心である。家族にも安心した状態で会いたい気持ちがあるし、友達に会いに遠くへも行きたい。自分に抗体が出来たからといって何でも出来るわけではないと思うが、集団免疫への一助となればという思い。発熱や関節痛がすごすぎて来年はもうワクチン打ちたくないので、早く世の中が正常になることを強く祈る。

 

9月某日

ついに部署へ配属。長かった5ヶ月の研修も終了。これから本格的に社会人生活が始まる。週5日も働くのだるいなーという気持ちと、やっと開発職のお仕事出来るなという気持ちと。自分が3年間学んできた光学も大いに活かせる職場だし、何年この会社にいるのか分からないけど頑張ってみよう。

雑記

浜松を出て埼玉県に住み始めた。謎の焦りや焦燥感に苛まれる日々を送っている。ベッドでだらだらしてる時間に嫌気が刺すが、何もしとうないと思う日もある。ただ、誰もいない街に来たことで自分と向き合う時間、創作時間は自然と増えた。やりたいことに一人で取り組んでみる1年間も悪くないかもしれないと思い始めるこの頃。それが何者にもならなくても。自己満足だったとしても、インターネットの海に放り投げておくことが、多分重要である。多分。

 

6月某日

ついに浜松を出て埼玉県へと移り住んだ。このような社会状況じゃなければ3月には居なくなっていたはずの愛している街。アディショナルタイムを2ヶ月得て、自分なりに楽しく過ごすことが出来た。

6年も住んだワンルームやその街のこと、浜松駅周辺の大好きなお店やオーナー達、サークルも研究も大切なものも全部詰まっている大学、おれの人生のほとんどは浜松に在ったなと思う。最後家を出る時、新幹線に乗ってる時、本当に涙が出そうになったけどぐっと堪えた。生きているのは今だから、これからの人生を浜松にいた時よりも楽しくしていかなければならない。過去と将来を比較したくない。

最初に降り立ったときは「終わってる地方都市に来てしまった」と一人呟いたことをよく覚えている。運命に逆らわずに流されてみて良かったと、今では思えるよ。札幌に対してあまり故郷という感情は強く沸かないが、浜松は帰る場所だと身も心も認識している。

いつかまた住みたいな。近いうちに遊びにいくよ。

 

6月某日

スタンディングデスクを購入。とにかく良い。天板も大きいものを購入した。とにかく良い。作業スペースが完成したし、また音楽を作り始める。リモートワーク社会人の定時後は時間がありすぎる。

2週間程度で新居の片付けは終わった。いつまで住むのか分からないけど、自分にとっては家が城だから少しずつ好きになっていきたい。

 

7月某日

就職面接も含めて一度も訪れたことのなかった会社についに出社する。来たこともなかった会社に雇われているというのは不思議なものである。東京で働く気などさらさら無かったがひとまず秋までは確実に出勤することになるし、人生は思い通りにはいかないっぽい。高層階の窓から見える東京ドームやスカイツリーがやけに寂しいものに見えた。いつも画面の向こう側に居た同期に会えたのは少し嬉しくも恥ずかしくもあった。

 

7月某日

モデルナ製のCOVIDワクチンを接種。1回目。当日は腕も痛く無かったし、熱出る人も周囲にほとんど居なかったから安心していたが、翌日の昼から高熱にうなされる。風邪を引いたわけでもないのにこんなにも発熱に苦しむとは… 24時間くらい38 ℃〜39 ℃くらいを彷徨いひとまず微熱程度に落ち着く。長引かなくて良かった。来月もワクチン接種することになるが、2ヶ月連続で高熱の確定演出は全く嬉しくない。まあこれで自分も周囲も死ななくなるならそれで良いけど。

COVIDのことを調べるうちに、麻疹や天然痘のワクチンが出始めた時の世界の様子、日本の様子がどんなものだったのか気になり始めてインターネットを漁るなど。あまり知りたい情報には当れなかったので、やはり書籍を探すしかないっぽい。本は知。

instagramでは知人友人が遊び歩いている姿が連日upされる。悪いこととは思わないし咎める気もない、嫌な気持ちにもならない。自分だって本当に会いたい人には会いに行くつもりではある。しかし、様々なリスクをとってまで連日誰かと酒を飲みに行く気はなれない。

 

7月某日

四連休を外にも出ずに粛々と過ごす。特に遊びに行きたいところもないし、会いたい人もいないという実情である。埼玉に引っ越してきてから孤独に慣れすぎてしまって危機感も少しずつ湧いてきてはいる。でも誰にも会わずに感じる孤独は本当の孤独では無いっぽい。人は他人の存在を認知して初めて寂しさを覚えるものである。家には自分以外何者もいない。

弾き語りを練習したり作曲をネチネチ進めたり、ゴロゴロyoutubeを見たりオリンピックを見たり。何もやりたくないという感情と何かを吸収したり創作しないとヤバイという感情がせめぎ合って一人でバッドに入った。作曲に関しては、やれることや知識が多くなっていくほど、目標としている人たちの完成度の高さにやられて何も出来なくなることが増えてきた。戦うべきは自分自身だと分かっている。昨日の自分を1 mm超えられればそれでいい。完成させたい曲、歌いたいこと、聞いて欲しい人。それぞれたくさん持っている。夏が終わるまでには何曲か形にしよう。

平井拓郎の小説「さよなら、バンドアパート」を読んだ。この人の言葉に10年近く救われてきたし、自分の根幹は大体この人のマインドや発言で出来ていると言っても過言では無い。幸福なんてものは感じ方と気づき、人生はいつも少しだけ間に合わない、結末や終末はいつもゲリラ。いつもと同じ言葉を、小説の中でも書いていた。大切にしなければいけない。今を。隣にいる人は明日にはもういないかもしれない。後悔しないように、灰になるまで、戦わなければいけない。様々を思い出させてくれる良い物語だった。小説を数年ぶりに読んだが心に灯るものも多くあった、時間を作ってこれから読んでいこう。

雑記

4月某日

研究室に久しぶりに遊びに行ってたら母親から大腸に癌が見つかったとの連絡。動揺を隠しきれなかったが平静を装って帰宅。帰り道は泣く。

酒も煙草もやめないし早死にすると思っていたけど、いざ直面すると悲しみに暮れる。大学生のうちにもっと札幌に帰っておけば良かったか。詳しい検査結果が出るのがゴールデンウィーク明けらしいので、今のところは進行が進んでいないことを祈るくらいしか出来ない。祖母もまだ健在なのでいきなり死んでは欲しくない。孫の顔も見てほしいし、自分に生涯の伴侶が出来たらその人にも会って欲しいし。

癌だからと言って大多数はすぐに死ぬわけではない、完治することも多い、そういうことは分かってはいるが、心配な気持ちは隠せないな。

何にせよ、自分の引っ越しが終わったら一度札幌へ帰ろう。

 

4月某日

会社の全体研修が終わり配属発表。研究所勤務のつもり満々だったが、まさかのデジタルトランスフォーメーションをやる部署。一体なぜ?

光学、物理学を出来なくなったのはとても残念。もう少しアカデミックの世界に足を突っ込んでみたかった。しかし腐らずやるしかない。おもろいことを祈る。

 

4月某日

同期に会いに名古屋へ。まさか画面の向こう側にいた奴らに会いに行くことがあるとは。美味いビールを飲み、安居酒屋へ行き、初対面のやつの家に転がり込みフィニッシュ。新たな友人に出会えたことに感謝しかない。東京で暮らすのも悪くなさそうだなと思った。

 

5月某日

6年近くお世話になったバイトの社員と居酒屋へ。上司というより、どちらかというと10個上の頼れるお友達という認識。最近は心の調子が悪いらしく心配だったが、元気そうで何より。他愛もない話をしてお別れをした。また会えるといいな。別ればかりが増えていく。

 

5月某日

母の手術無事終了。ひとまず病理検査を待つのみ。長生きしてください。

 

5月某日

スケジュールが決まるのが突然すぎて引越し作業が忙しすぎる。土日で関東にかち込み、なんとか埼玉県に新居を構えることに。ついに愛している浜松を出る時が来てしまった。

新宿や渋谷等、東京の大きい街は本当に好きじゃない。人も多いし、飲食店も嘘くさい。大切なものが本当にそこには転がっているのか?大事な人たちは多く関東圏にいるけど、果たしてこの街を愛せるかと言ったらどうだろう。それでも必死に生きていくしかないのだが。

育ってきた環境や地域が違うと、価値観も変わるし心の育つベクトルも変わるんだなということを認識した休日だった。自分の感性を自分で信じるし、愛したい。

 

5月某日

気づけば1ヶ月くらいDAWを開いていない。音楽を作りたい気持ちは多分にあるのだが、他にやることが多くて手が出せなかったり、社会人の生活リズムに負けていたりする。作りかけている曲はたくさんあり、早めに世に出したい。金のかからない趣味は自分には音楽制作くらいしかない。

4月から度重なる会社のスケジュール変更や研修の延長などに心を削られ、何も生み出せない2ヶ月間を送ってしまった。自己嫌悪のみが蓄積されるが、こんなもん自分でなんとかするしかない。

雑記

4月某日

人生で一番大切だった人と縁を切る。人生で何度も同じようなことを繰り返してきているが、自分はいつまで経っても学ばない。もう多分10年以上同じことをしている。

さよならも言えなかったけれど、別れはいつだって突然やってくる。決意は突風と似ている。

俺が俺のために、幸せになれる最善の手段だったと信じたい。また何処かで会えたら良いね、と思ってもいないのに口にしてしまう。もう会うこともない。

雑記

心を病んでいたり、人生で一番友人と遊び尽くしている時期があったり、新社会人になって生活リズムを掴めなかったりなどして全く生活の記録を残せていなかった。しかし出来る限り文章に残しておきたい。

最後の大学生活を駆け抜け、瞬く間にgigazombie新社会人編に突入してしまった。会社の都合でまだ浜松に残っているが、そのせいで全く音楽制作に向き合う気にならない。せっかくこの街に残ることになったのなら、残り短い時間もしっかり友人達と過ごしたい。これから長い人生、みんなとこんなに一緒にいられる時間はもう無い。今愛している人達を大事にしよう、強くそう思って4月を過ごしている。創作活動の原点は寂しさにある。今は寂しくなくなってしまっている。幸せなことだ。

 

 

2月某日

man city vs. liverpoolを見た。フットボールをやったこともないのに何故プレミアリーグにはこんなに一生懸命になれるのだろう。来日したman cityを横浜まで見に行った日のことを少しだけ思い出した。何はともあれ最大のライバルに勝ってよかった。これからも出来る限りサポーターを続けよう。

 

2月某日

修士論文のabstractを提出した。もうすぐ大学生活が終わる。

 

2月某日

修論発表。同期や後輩が会場に入れなくて残念だったけど、ボスに見守られながら無事終了。質疑にも問題なく答えられたし、満足いく発表だった。

 

2月某日

サークルのライブ。King gnuのコピーがやりたいと後輩たちに言われ、初めてシンセベースを弾くなど。難しすぎて全然弾けんかった。時間があればちゃんとコピーしてみたい、ベースめちゃくちゃ上手くなりそう。

ライブの打ち上げで信じられないほど笑った。都会の大学生たちはこうして遊べないことを思うと、このご時世においては田舎の自分たちは恵まれている。

 

3月1週

大事な先輩と浜松をドライブして遊んだり、研究室のボス達とささやかな飲み会をやったり、大事な親友たちと富士サファリパークに行ったり。激おもろい1週間。どうもありがとう。

 

3月2週

友人が浜松に飲みにきてベロベロに酔っ払って帰った。社会人になるとこうでもしないと日常を忘れられないのかと身震いする思いであった。自分も自分で、働きたく無いと駄々をこねていた。酒を飲みながら。

翌日から3日間、香川県直島へ。vlogを作りたくて1日目はかなり素材を撮っていたがiphoneの歩きながらのブレの感じや自分の喋りが気に食わずボツに。またいつかgoproでチャレンジしたい。アートには全く興味がなく、良さが分からないまま地中美術館のためだけに上陸。しかし振り返ってみると無理やりにでも行って良かった。「アートは体験である」という芸術に対する大きい概念を心に刻むことが出来た。まさかこんなにも丸二日間アートに感動しながら過ごせるとは思っていなかった。絶対にまた行きたい島。島唯一のbarのマスターと飲み明かした夜も忘れられない。あの日ほど上手いカレーはもう無い。2021年唯一の花見は直島で一人だった。それもまた思い出にしたい。

6年勤めたバイト先の送別会。これもまたこのご時世によりささやかものになってしまった。とてもお世話になった上司と別れるのは非常に寂しい。しかし進む他ない。このバイト先を選んで良かった。また会いましょう。

 

3月3週

サークルの練習に追われる日々を縫って豊橋までIMAXエヴァを見に。大好きなアニメがきちんとした形で終わってくれて本当に良かった。中学生の頃に憧れた葛城ミサトは、10年以上経ってもまだ憧れである。アダルトチルドレンと揶揄されていた彼女が、人類の中でもトップクラスの責任感を持って終劇に向かっていく姿を見れただけで、自分は満足だった。「帰ってきたら続きをしましょう」を超えたミサトが見れるとは思わなかった。

遂に卒業式。6年間は長いようで短い。やり残したことや無駄にしてしまった時間もたくさんあるけど、色々と乗り越えてここに立っていることも事実。大切な6年間だった、本当に。

サークルの追いコン。間違いなく俺はあの瞬間、世界一幸せ者であった。大学生活の一番の居場所、きちんとした形で終わることができて嬉しく思う。いろいろな溢れる想いも全部抱えて、置いていくものは全部置いて、自分が昔から思い描いていた卒業をすることが出来た。ありがとうございました。全部全部愛してます。

 

3月4週

会社の事前研修を一ミリもやらずにまだ遊び尽くす。学部の友人たちと最後の飯に行ったり、研究室の後輩たちと酒を酌み交わしたり、朝まで麻雀をやった後に友人を北海道に送り出したり。大学生らしい遊び方は正直してこなかったが、2月と3月はひたすらに大学生っぽい遊びをした。それも良い。人それぞれ色々な3月がある。色々な終わり方がある。

 

4月

遂に入社。社会人編突入。とは言ってもリモートワークで住んでいるアパートも変わらないし、普段連絡取る人間も大学の友人ばかりだから全く実感が湧かない。これがいわゆる学生気分か。金だけは貰えていい身分である。

研修班の皆はいい奴らばかりで、直接会っていたら絶対に仲良く出来ると確信。人生で一度しかない新入社員シーズンをリモートワークで無駄にしてしまった感が溢れている。いつか皆と会えるといいが。1年経っても尚、社会は元通りになっていない。

雑記

修論を書けなくて書けなくてひたすらに鬱に襲われてた1月だった。ここにも生活の記録を残せなかった。研究は好きだけど学位論文を書くのはどうやらおれには向いていないらしい。なんとか卒業できそうで一命を取り留めた。分かったことは、1ヶ月も人に会わずに家に篭るのは自分には向いていないということ、思ったよりも自分の精神は強くないということ。入社後の研修も1ヶ月から2ヶ月在宅勤務であるが健全な身体と精神を保っていられるのだろうか。もうすぐ、長かった学生生活も終わる。

 

1月某日

修論を書き進めているが全く進まない。昔から、やりたくないことからは極限まで逃げてしまう癖がある。ずっと家にいて精神的にも良くない気がする。早く片付けて先に行かないと。

 

1月某日

序論を書き終わってやっとやる気が出てきた。あとはひたすら書くのみ。もこう先生の動画をずっと流して家に篭る日々。身体も心も健やかに保ちたい。

 

1月某日

レーザー学会にて発表終了。OPJと比較して全くやる気は出なかったけどひとまず無事に終えられた。これが人生最後の学会発表となるか、それとも…

 

1月某日

入社前健診で初めて学校以外の場所へ健康診断を受けに行く。外の空気を吸えて良かった。健康そうな人もいれば見るからに不健康な人々もたくさんいた。最近の身体の不調から珍しく血液検査の結果が気になる。郵送されてくるのを座して待つ。

 

2月5日

"gigazombieは修士論文を提出した"の実績を解除。あとはアブストを書いて発表だけして終わり。自分、研究室生活お疲れ様。

 

雑記

全員にとって忘れられない1年であろう2020が終了。自分も例外ではなくCOVID19に様々を制限された。就職活動もしたが全てオンラインになったり受けたい会社を全て受けれなかったり。研究室に行けずメンタルが暗くなった2ヶ月があったり。東京事変のライブや森道市場なんかの心から大切なイベントが開催されなかったり。

でもたくさんプラスの面もあって。ずっとやりたかったDTMも真剣に始めたし、大事な友人たちも今までにも増して大切に出来るようになった。こんな状況じゃなければ整理できなかった色々がある。

学生最後の年、あまりにもクソだったけど手に入れたものも多い気がするよ。失ったものばかり数えるより得たものに向き合うことが建設的な精神だと思う。でも失ったもの数を指折って愛することも忘れたくない。

2021年も自分の人生をより良くするために出来ることを1つずつやっていこう。まずは大学を卒業して、働いて、音楽を作り続けることを目標にしたい。

 

12月某日

好きな人と結ばれそうにないことが判明し、数日死にたくなるなどしている。今まで口に出したことがなかっただけで大切だったということを再認識。昔からだけど、どうして最初から大事な人を選べないのか。人は成長しない。そしてまた疎遠になってしまうんだろう、きっと。でも生き延びられるとも思っている。この街に単身乗り込んできた6年前の事を思い出している。

25歳にもなって色恋で精神がぐちゃぐちゃになるなんて中学生や高校生の時には想像もしなかったね。これから先はきちんと岐路に立つたび選択出来ると良いし、選んだ方が自分にとって正しい道であることを祈る。今好きな人よりも、もっと一緒に暮らしていきたい人と出会えたらそれは幸せだと思う。

冬が寂しくさせるわけじゃないし、一人だから寂しいわけでもない。もう少し大切に思われていると感じていたけど違うという事実が寂しさを生んでいる気もする。よく分からない。

 

12月某日

完全に勢いでMacbook pro 16inchを購入。世間はM1チップmac旋風に呑まれているが、自分は古き良きを信じてintel。16inchにM1チップが乗るやつもすぐに出るらしいという情報を目にしたが、余計ないことは見ない方がええ。俺はintelを信じてる。音楽制作や動画制作、直近では修論作製などに役立ってくれると願う。全部で37万。人生で一番高い買い物。この初期投資を回収するくらいには様々な経験を積んでいきたい。曲もたくさん作りたいしライブもしたいしDJもやってみたい。1日中パソコンの前に座っている男、おそらく世界も広がるはずだ。広げないといかん。

 

12月某日

研究が酷く忙しい2週間を終え、メルトremixの制作に着手。土日月フルにつぎ込むことで完成。もっと技術があればコード進行大幅に変えたり、カットアップしまくって曲構成変えたり、色々やりたいことはあったけど結局王道的remixに仕上がった。というかこれしか自分の中に選択肢がなかっただけか。イベントに出す為の曲だからいつもよりもう少し色んな人が聞いてくれると嬉しい。

ミキシングをいつもよりも真剣にやってみた。音が凄く良くなっていくのを肌感覚で実感。マスタリングは未だに分からない。音がデカくならない。どこまで圧縮していいものなのか… 勉強したいことがたくさんある。作りたい音楽も渋滞している。やるしかないという気持ち。

 

12月11日

メルトremixを投稿。ニコニコ動画に初めて生きたコメントがついて嬉しい。10年前はまだボーカロイドを聞いていて、でもこんな形で自分が楽曲を作ってニコニコに投稿して…なんて想像してなかった。愛してるぜインターネット。

 

12月某日

東京方面の新幹線に乗るのは久方ぶりだ。5年ほど会っていなかった友人に会いに。しかし5年も会っていなかった印象は無かったな、2000年代はインターネットのおかげで世界が良くも悪くも狭くなってる。SNSでよく見る友人はリアルの交流がなくても全くラグ無く話せるし、今何しているのかも会う前から知ってる。趣きはない時代だと思うけど、便利ではある。利便性が人と人を繋げてくれるのかどうかは分からん。何はともあれ、友人も自分も昔から変わっているようで変わっていない気がした。人の根本は10代後半にもう出来上がっているのかもしれない。

有難いことにBGM制作の依頼もしてくれた。一人で音楽やってても広がっていかないから、知人が助けてくれるのは本当に助かる。早くmacのセットアップして制作に取り掛かろう。

 

12月某日

macでの音楽制作環境を構築がてら、インターネットの諸々を整理している。まずは1年半くらい精力的に書いていた音楽レビューブログ、日々の音を消した。さよならポエジーのことを書いた記事がgoogleのトップページに出てくるようになったり、QOOLANDのことを書いたらおれと同じくらいの熱量でファンをやっていた人たちから暖かいコメントを貰ったり、平井さんもいつか飲みたいと言ってくれたり、DIALUCKのボーカルがピアスを開けるのを間接的に阻止したり、モーモールルギャバンがみんな反応してくれたり、思い出はたくさんあるなあ。記事のバックアップも取らずに消してしまったけど、思い出は残しておいた方が良かったかな。毎週毎週新しい音楽に無理してでも触れてアウトプットするの楽しかったよ。昔の自分ありがとね。

 

12月某日

4年ぶりくらいに名古屋港水族館へ。でっけーシャチも好きだしイルカショーも好き。でも他にも色んな水族館行ってきた大学生活だったから展示の古さが気になってしまった。夜は名古屋港で季節に似つかない花火が上がっていた。花火も大好きだけど2020年は見れなかったし、冬の花火は初めてな気がするし、思い出に刻みたい日だった。

 

12月某日

久方ぶりにサークルのライブにベースを弾いて出演。みんなバンドに飢えていたようで、全員楽しそうだったし人も心なしか普段より多かったな。今年入った子や今まであまり接点の無かった子とたくさん話せた。COVID19で失ったこの1年が勿体ないと思うほど仲良くしたい奴がたくさん居た。許せねえよ、返してくれよ、という気持ちが以前より強くなった。おれたちはこの1年で得たものも失ったものも多い。しかし人生の美しさは失ったものの数と相関するということも信じている。

 

12月某日

6年ぶりに兄と再会。会わない間に結婚するなどしていた兄。しかし一緒に過ごしていた期間があまりにも昔過ぎて何とも話が盛り上がらなかった。希薄な家族関係の中でも会いにきてくれたことには感謝しよう。自分は社交性を多めに抱えて生まれてきたと思っているが、兄は正反対で寡黙な人。きっと自分とはかなり違った人生を歩んできたんだろうな。また数年後、こちらから会いに行くとしよう。

 

12月某日

大好きな先輩に会いに名古屋へ。最近出かける用事が多くて、時間が勿体ないのと感染対策も兼ねて毎週のように新幹線に乗ってる。6年間で一番ブルジョワジーな生活。一般的な大学生ってもしかしてこんな感じだったのか。おれはその間浜松に根を張っていたよ。

桃鉄をやったりアソビ大全をやったりマリオパーティーをするなどしたりしていたら、何と先輩から婚約の報告。さすがに突然過ぎて驚いたが、めでたい。いやー、めでたい。近い人の結婚というのがこんなに嬉しいことだったとは。2021年に結婚式を挙げるらしい。今から楽しみだ。本当に結婚おめでとう、大事なパイセン。家族ぐるみでもたくさん遊ぼう。

 

12月某日

そこそこ美味しい日本酒を手土産に、友人の家でささやかな忘年会。毎年この時期は朝まで安居酒屋を飲み歩いていたので学生最後にそれが出来ないのは少しだけ寂しい。サークルの同期と少しだけ真面目な話。みんなこれからも仲良くやっていけると良いけどどうなんだろう。少なくともおれはみんなのこと好きだよ。ほんのちょっとだけ酔った時に全員にPorter robinsonへの想いを語ってたのしかった。

 

晦日

後輩宅でのんびり寿司を食いながら年越し。紅白に出てる歌手って歌上手いなみたいな話を延々とする等。年越しには寿司さえあればええんや、おれたちは。

2020年ありがとう。